60年ぶりの産土神社参拝 鷹見神社で感じたこと

幼い日の記憶

小学校低学年の頃、鷹見神社の境内横にある小さな池で、ザリガニを捕るお兄ちゃん達の様子を、ただ見ていた記憶しかありません。
その頃の私は、神社自体やその存在意義よりも、池やザリガニのことばかりに目が行っていたのでしょう。あの光景は、60年以上経った今でも、ぼんやりと心に残っています。

60年ぶりの参拝

今回、思い切って60年ぶりに鷹見神社を訪れました。生まれ育った土地にある産土神社――実は、今まで一度もきちんと参拝したことがなかったのです。
しかし、境内に足を踏み入れた瞬間、子どもの頃の懐かしい感覚が蘇りました。

昔の池の話

参拝中に、「穴生まつり」の準備をしている地域の方とお話する機会がありました。
境内の池が見当たらなかったので尋ねてみると、昔は確かに池があり、ザリガニもいたそうです。しかし、ボウフラがわき蚊が多く発生するため、数十年前に池を潰したとのこと。
自分の記憶違いではなかったことを知り、少し嬉しい気持ちになりました。

朽ちた神社の姿に感じた寂しさ

一方で、60年ぶりに見る鷹見神社は、想像以上に朽ちた印象でした。社殿や境内のあちこちに年月を感じ、少し寂しい気持ちも湧きました。
でもその朽ちた姿も、長い歴史と地域の人々の営みを物語っているのだと思うと、ただ寂しいだけではなく、深い愛着を覚えました。

産土神社の存在の大切さ

産土神社とは、生まれ育った土地を守る神様が祀られている場所。
今回の参拝で、その存在の大切さを改めて実感しました。
今まで参拝してこなかったことを少し後悔すると同時に、これからは敬意を持って、心のよりどころとして関わっていきたいと強く思いました。

これからの自分の関わり方
• 時々参拝して心の中で感謝を伝え、産土神社との縁を大切にする
• 幼い頃の記憶や体験を思い出しながら、感謝の気持ちを日常に活かす

60年ぶりの参拝は、ただ懐かしむだけの時間ではなく、自分と土地、そして産土神社との新しいつながりを感じる大切な機会になりました。

鷹見神社は「私の生まれ育った土地を見守ってくれる存在」であり、これからは心の支え、そして生かしていただいていることへの感謝を大切にしていきたい――そんな気持ちを強くした一日でした。